舌先から散弾銃

ただの日記です

社会

 ここのURLをありとあらゆるところから外した。多分読む人はいなくなる。

「結構楽しみに読んでるよ」と言ってくれる人もいた。ありがたい。

でも一方で人が話した後、「ツイッターで書いてあった!」とか「ブログに書いてあったよね〜〜」で始まる会話もある。わたしはそれがとても苦手だ。それは会話じゃないじゃんか、と思う。

わたしはわたしのために書く。

 

社会人になった。

いま、散々な気持ちでこれを書いている。

 

わたしが今まで大切に育んできた、育まれてきた美しさや、正しさみたいなものをむやみに踏み潰す大人が、同期があまりに、あまりに多すぎて。本来ならあり得ないことなのに、「あら、もしかしてわたしが育んできたものの方が特殊なのか?不適合?」とか思ったりしている。

自分のものさしを、他人に押し付けることは傲慢以外のなにものでもない。でも違和感は、不快感は、自分を守るために絶対必要なはずなんだ!

苦言を呈することで、自分が悪者になる体験をこの2週間で2回も味わった。 

どちらも多分、前後の文脈がまるで伝わらなかった。しかも、結果として何一つ変わらなかった。

邪悪になりたくないから、悪者でいい。

いいけど、つらいよ。

 

心が砂漠になった。枯れた。

育ててきた花は一斉に萎れた。

でも、カラカラに乾いている時ほど、命の水をジャバジャバ注いでくれる人の浸透度はとんでもない。運動後の水がうまい!みたいな話なのかもしれない。

もう何年も会ってない人から「んなことだろうと思ってさ」などと言って連絡がくること、「間違ってない!」と断言してくれること、黙って話をきいてくれること。

リップサービスも中にはあるかもしれないけれど、ここ数週間、砂漠に水を撒くような作業をしてくれた人。わたしはこの気持ち忘れないからな。

 

本当の心は本当の心へと届く。