舌先から散弾銃

ただの日記です

05/02

昔から、年上に囲まれていることの方が多かったように思う。


幼稚園の頃、小学校6年生の男の子たちとドッジボールをしてあそんでいた。
小学生の頃、母の友達といくウィンドウショッピングが砂遊びよりも楽しかった。
中学生の頃、保健室の先生とのアコギセッションがクラスでお昼を食べるより幸せだった。
高校生の頃、先生(もはや友達)がいたから腐らずに済んだ部分がある。
今だって、親と遊ぶのが一番楽しかったりするし、10こ、20こ違う人たちとダーツ行くのが楽しかったりする。
ファンになるのも、誰もが通るはずの、ジャニーズの道を通らなかった。好きになるのはみんな40代から。女も、男も。


で、そんな幸せな空間達を羅列、反芻、噛み締めていると、テレビからは名脇役だとか、名女優だとか、名声優の訃報を知らせるような映像が流れてくる。


私はいま18さい。もう絶賛ティーンエイジャーだ。誰がなんと言おうとピチピチ。(28にみられようと!!何浪かしていると言われようとも!!)
で私を取り巻く(仲のいい)人たちは、20から始まって上は50過ぎまで。
人生80年だとして、今40歳の人たちは、あと40年しか生きられない。
彼ら彼女らが80の時、私はその時58。
まだまだ生きているはずだ。
私が生きているうちに必ず、大好きな空間を取り仕切る人たちを看取ってやらねばならないのだ。
当たり前は当たり前なのだけど、これがすっかりぽっかりスコーンと私の脳みその中で欠いていた。


私が生きている間に必ず、大泉洋の訃報がテレヴィジョンから流れるはずだし、私が生きている間に必ず、赤星さんも、グリパパも、はっとりせんせいもうすいせんせいみきちゃんももりたせんせいも灰になるはずだし、私が生きている間に必ず、ちあき も まさる も目をつむるはずだ。


蛇行してきたがつまりは、だから、頼むからお前ら私より先に死ぬなよという話。

今日は清志郎の命日。