舌先から散弾銃

ただの日記です

2014/1/20

同じ「頑張れ」という言葉なのにそれを書き込んでる人によって安っぽく感じたり、高価に感じたりすることはないですか。

同じ「大好きだよ」という言葉なのにそれを書き込んでる人によって嘘っぽく感じたり重すぎるように感じることはないですか。

拙者は万時あるのでござる。

なんなんだろうね、あれ。

どちらかというとその「書き込んでる人」に対する自分が抱くイメージが先行しているような気がします。

「書き込んでる人」が(あくまで自分的に)道徳的によろしくなかったり、印象が良くなかったりすると、

どんなにいいことを言ってても、書き込んでても、それはアホっぽくて俗っぽい。

安っぽくて嘘っぽい言葉になってしまうのかも…?

時代はSNS

(しかもSNSで書き込まれたことがその人の心の全てだなんて思われちゃうんだからたまったものじゃない)

(まぁ確かに心の黒さは出しやすいが)

手書きだったり肉声じゃなかったら尚更、自分の抱くその人に対するイメージが色濃くでそう。

ビックリマークの使い方とか、句読点、かぎかっこ。

なるべく自分が話してるかのように、

文章を書きたいです、伝わっていて欲しいです。

こうして書いて、自分に言い聞かせるのが通例となってまいりました。御容赦。

 

人に気持ちをぶつけたり、間違ってると思うことを言ったり、泣いて訴えたりすることにはもう疲れてしまって、

その人の好きなようにした結果が私の価値観といつまでも違うなら、もうその人は、私と合わないんだって。 

それらが眠るように通り過ぎた方が、きっと楽だ。

「理解できない」って思った時点で相手との距離なんて測れやしないし、詰めようとはしてないのだよ。

現実みよっと。

 

こんなことを毎日考えてます。

別に病んでる(爆笑)わけではなく。

むしろ通常。常にロー。常に陰鬱。麻痺。