舌先から散弾銃

ただの日記です

好きなお店の話

 

昨年の梅雨頃から好きになったお店がある。

昨日、「ここで働いてみませんか」というお言葉をテンチョーから頂いた。

 

単純に、私はテンチョーのことを敬愛しているので、敬愛している人が大切に営んでいるお店に立ってみないか、というお話は、そりゃ嬉しいに決まっているわけです。そして、わたしが考えうる限り、手当たり次第声をかけるような人ではないとも思うから、嬉しさは倍増。

 

そのお店は、雑誌に例えるならば「作り手が作る」というよりかは「読み手が作る」タイプの雑誌で、とっても作り手、つまりそこのお店に立つ人の振る舞いでお店の質や、客などが毎日毎日目まぐるしく変わるお店(主観)。だから、私も友人といるときの大学4年生のわたし(彼氏大好き妖怪偏差値10)ではなく、思いっきり頭を冴えらせた見られたら恥ずかしいワタシにがっつりチューニングしてから行く。勘違いしないでほしいのは、どちらの私も紛うことなく私で、私はそのどちらもの私が好き。あくまで、チューニングの問題。

 

そんなもんだからなんとなく友達を誘うのも恐ろしく、そこのお店に行く時は大抵、少し背伸びをした明日香さんが1人で訪れる。独り占め。我ながら器の小さな女だな、とも思う。その分お店の存続のため、たくさんお金払うから

許してくれ〜!

明日、私は、一日てんちょーになる。(予定)

‪自分が読み手として最高に心地のよかった雑誌を、新入社員として今度は作り手に回る、ということは、わたしが最も恐る行いで、身震いする。純粋に好きだったものを、お金や労働の類にして純粋で好きでい続けられた試しがまるでないから。もう一つは、あのお店が作り手の立ち振る舞いで大きくブレるお店である気がしており、もっと震える。せっかく縁あって見つけたお店、よいお店を自分でダメにするような夜が訪れたら……いよいよ震えが止まらない。

いま、ひとつだけ決めていることは、コップが空いているお客さんに「次何にします?」と聞かないぞ!ということだけ。(わたしが江古田ホルモンの苦手な点を挙げるとすれば、そこ!!)

 

何が変わって、何が変わらないままでいるか、性格や考え方がまるで変わるような日が来ても、あの時のワタシも「私」なわけだし、いつかくるその時の「私」もワタシ。結局全部わたしなのだとしたら……この続きにどんな言葉が当てはまるのかが、まだまだわからない私。