舌先から散弾銃

ただの日記です

日記まとめin初夏の生活と思考

6月13日

 夜眠れず、Twitterをみていたら過疎ったTLに「嫁が余命2月宣告の結果」みたいな2chスレまとめが流れてきて、なんの気無しに読んだ。それが理由ってわけじゃないんだけど、私が中3の夏に死んだ、母の親友であり私の親友であり血の繋がらない姉貴ペコとの文通を読み返した。一人暮らしを始めた時に実家から持ち出すくらい大事なものだけど、手紙を開いたのは実に10年ぶりとかだと思う。寝れないとはいえ、壮絶な闘病記を読んだとはいえ、なんで読み返そうなんて思ったのか。

 私は今まで、服の趣味があった派手好きの八代子(祖母)、ギターを私に教えてくれたヒロシおじちゃん(母の兄)、岡村靖幸のマネージャーと付き合ってた私のかっこいい女代表・ペコ(母の友人)、「20歳を超えた男はどこかの女の作品」という言葉を私に残し、死に際に「あばよ」といった戦闘民族いとし(祖母)を亡くしている。若干スピってる母・千秋曰く「亡くなった人が夢に出てきたら心配してるってことらしい」。今の今まで、この4名が夢に出てきたことはない。それなりに愛されてたと思うし、心配もしていたと思うんだけど。ちょっぴり寂しい。

 この間実家に帰った時、千秋の「もー明日香も大人になったし話すよー」の一言で、私の知らなかったペコの壮絶人生を聞かされた。ペコを産んでペコのお母さんは亡くなり、実の父と交際関係にあった(!)「祖母」に育てられる(血縁関係はない)。程なくしておばあちゃんが亡くなり、新潟から神奈川にある再婚した実の父の家を訪ねる。このペコの転校が千秋との出会い。ペコは実の父から日常的に暴力を振るわれていた、など。仲良いつもりだったし、なんでも知ってるつもりだったけど、私はペコのこと全然知らなかったなー。

 手紙を読みながら泣き笑いしてしまったんだけど、手紙に「泣かないと人は笑えませんからねー」みたいなことが書いてあってさらに泣きながら笑った。「あすかの結婚式でスピーチして泣かせてやりたい」って。あたしもう結婚したよ〜!ちゃっかり千秋に宛てた恋煩いの手紙も混ざっていて、意味がよくわかるようになってしまったわたしは「ごめん!」と思いながら読み進め、随分と笑った。ペコにも25歳の時があり、今の私と同じように男の子研究を進め、生活を七転八倒してた。「どーせ私はあなたより背もでかいし、肩幅だって自慢できるほどあるよ。姉御系だしヤクザとケンカしたことだってあるし、酒も強くて悪かったね…と彼に向かって心の中で思いました……」←ヤクザとケンカというパワーワード

 最後の手紙は速達で「余命宣告されました」って、内容。一貫してペコが私に語りかけていたのは「愛があればどこにいても生きてゆける人生はそれほど複雑じゃない。周りに振り回されず自分のすべきことに向かって歩け。でも人は1人では生きていけないことを肝に銘じろ」。おかげさまでそれなりに強く賢く可愛い女の子になったと思う。

 白血病で無菌室に入れられてたペコの病室は14歳以下は入室禁止。だから文通をしてた。小学校6年生の時に、最初の入院をしてから3年間。携帯もパソコンもあったのに何故か文通を選んだ。あの時、文通を選んでてよかったなって思う。ポストを開ける楽しみとか、自分の送った手紙は読めないけど相手から送られた手紙で当時の気持ちは思い出せる。アーカイブが欠如している分、なんだか愛おしくなる。

 あの頃は「周りがガキに見える」とか言っておきながらずいぶん私だって幼かったし、本当に自分の気持ちにふりまわされてばっかりというか。そんな周りとの違和感を「早くにおばあちゃんを亡くしたからなのでは。経験の違いは埋めることができない。その違いで彼らを責めることはできない」と言ってくれたこと、ほんと感謝している。すごく楽になったんだよねー。

 巨大感情をペコに押し付けるクソガキだったけど、今ならもうちょいアホで楽しくてガ〜ルズな話ができただろうなーって本当に思う。仕事の話も愛の話も恋の話も友だちの話も全部全部聞いて欲しい。タバコも吸うし酒もアホほどのむ女になったで〜。

f:id:bananacs9:20210707140218j:image

 

6月15日

 2年ぶりになんとなく連絡をとった大学の頃の友達。お互いの家がチャリで15分のところにあると判明し定期的にあそぶようになった。公園でタバコ吸いながら酒飲んで、2年間のうちに起きたことを2日間に分けて話した。1日目は友人編。2日目は明日香編。2年ぶりなのにそんな感じもせず話せたことも嬉しかったけど、何よりも嬉しかったのは2人とも無職と転職を経て、心から楽しい&自分に向いていると思える仕事をしているところ。地に足がついてる感覚を手に入れるために頑張ったね、偉かったね、頑張ろうねと半泣きで手を取り合いながら褒め称えあえてほんとに嬉しかったなー。私と彼の歴史はほんとにはちゃめちゃで「馬鹿大学生」の一言。誕生日に108本(煩悩の数)のタバコをもらったり、金魚鉢にお酒入れて飲んだり、オナラでライターの火が強くなるか実験したり、朝起きたらよくわかんないけど2人とも傷だらけだったり。私たちの関係性は、多くの人が疑ってかかる男女の友情で、対話とお酒と時間をじっくりかけて大親友になった。セックスすりゃそりゃすぐ仲良くなれるんだけど、しなかったし、したくなかったし、これからもする必要はない。私たちが男女の友情はあると証言し続けていると思うし、これからもそのつもり。友達は何年経っても友達。

 

6月22日

 最近すぐなんでも英語で調べる。「付き合う」は英語でkeep company。すっごい納得感。companyをkeepするのが付き合うってことだし、結婚生活ってことだと思う。

 

6月26日

 大豆田とわ子が面白いと思える人間でよかった。特に好きだったセリフ「夫婦なんて強いところじゃなくて弱いところで繋がってるもんなんじゃない」。私は自分の元気がない時に「ハウルの動く城」を見るとまた頑張れるんだけど、それは自信がなくて臆病な人たちが、弱いところで繋がって自信がないなりに強くなるからだと思う。ハウルに出てくる人はみんな大親友を探していて、仲良くなるための手続きをきちんと踏んで親友になる。あきらめないで、地道に友達になりたいと思える人を探してそれに足る自分でいようって思える。

 とわ子で好きだったセリフ2「転んでも1人で起きる子にしてしまった」「私色んな人に起きるようにしてもらってきたよ」。お母さんとお父さんは私に「明日香を大人にしちゃったのは私たち」と申し訳なさそうにいうんだけど、私はちゃんと子供をやっていたし未だに心の中に8歳と14歳と18歳の私はいるよ。心の中に住む「全明日香」たちと過ごす日々は結構おもしろい。

 

7月3日

 我が家の中で一番ボロボロの漫画は松本大洋ピンポン。やっくんは漫画が大好きだけど、ほとんど携帯で読んでいるので漫画を保有しているの珍しい。ある日「『少し泣く』のコマって何巻あたりだっけ」と聞いたら迷いなく漫画を手に取り、秒でパッと開いて教えてくれた。やっくんの好きポイント史が更新された瞬間だった。その日、卵子精子保存の話をした。

 

7月14日

 お慕い申し上げている先輩の退社を聞かされた深夜2時。月曜日に偉い人に報告し、まだオフレコだけどどうしても古堅には早く言いたかったと、早々に教えてくれた。

 朝5時に帰宅し、やっくんからクリスチャン・ボルタンスキーが死んだことを聞かされた。家の廊下で荷物をどさっと落として、立ちながらワンワン泣いた。漫画みたいに泣いた。私、こんなに好きだったんだね先輩のことも、ボルタンスキーのことも。やっぱり寂しいよ。ボルタンスキーは、不在と存在を目に見えないものとして残す人だと思う。「ないということを知っている」ということを知っていることで存在するようになる。ボルタンスキーも不在の存在になったんだなー。たくさん作品見れてよかった。