舌先から散弾銃

ただの日記です

ワンピースと私

岡村靖幸と仕事をした(わたしは本当に見ただけだけど)。

まさかこんなすぐ、核心に迫るような仕事をするとはおもわかったから、少し、ドキドキした。

不真面目な新入社員なので、いま配属が決まるまでの研修中にこれを書いている。

いつだって、私はこの仕事をやめてやるんだからな!と思ったら、だいぶ気が楽になった。

ちっちゃな根性、身につけたっぽい。

 

岡村靖幸は、すこし私の中で特殊な人である。

最初に聞いたのは今思えば「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔をするだろう」だったわけだけど、聞いたのは確か小学生とかで、変な話、小沢健二中村一義なんかより先に摂取している(清志郎と同時期くらいだと思う)。

私を22年間で「明日香」にしてくれた要因はたくさんあって、私の母がちあきだったこと、私の父がまさるだったこと、そしてペコがいてくれたことだととても思う。

この「ペコ」という女は、ちあきの高校のころからの友達で、私がちあきのおなかの中にいたころから私を知っている。

そんでもって、私に「かっこいい女」みたいなことをとことん教えてくれた人でもある。

 

昨日の夜までは、映画を教えてくれたのはちあきだとおもっていたけれど、実はペコだったんじゃないか!?とも思えてきた。「チャーリーズエンジェル」という映画の話を、とにかくした。

まだ年もいかない私にたばことか、お酒とかを“うっかり”私に経験させたのもこの女で、

「洋服なんて好きなのきりゃいいんだよ、流行りなんてダサい!」と言っていたのもこの女で、「親を大事に」と「恋人にあぐらをかかないこと」など、人への義理とか人情とか、優しい気持ちとかをかなりの説得力を持って教えてくれたのもこの女(なぜならこの女は両親を早くなくしているから)で、「天の邪鬼は悪くないんだよ」とか今思えば年もいかない女にわかりやすく、大事なアレコレだとか、しゃべり方とか、もしかしたら文体さえも、かなりの影響をうけている。

 

ペコは私が小学校5年生くらいに入院して中学三年生の夏に死んだ。ハッケツビョーだった。

ハッケツビョー患者は著しく風邪などのウィルスに弱くなるので無菌室にいれられる。

無菌室は14歳まで入れない。だからずっと手紙でのやり取りをしていた。

メールという手もあったのだけれど、なぜかずっと手紙だった。この経験は私にかなり影響を与えていると思う。

たくさんのかわいい便箋と、かわいい封筒を買った。今も部屋にあるけれど、全然使うことはない。

 

彼女は岡村靖幸の大ファンだった、というのを最近知った。実家にいたころ、一人暮らし開始一ヶ月前とかの時。部屋で岡村靖幸の「だいすき」を聞いていたら、岡村ちゃんをあんまし聞かない母(ちあき)が目をまんまるにして「これ、ペコがよく聞いてた・・・気持ち悪い・・・」と教えてくれた。

よく話を聞くと当時のオカムラチャンのマネージャーとツキアッテタラシイ。(とことんカッケー女である)

 

そういう、個性的な服を好んで着る女が、ニューヨークの古着屋で買って来たという、黒いサテンのワンピースを、中学三年生で私は遺品として旦那さんから譲り受けた。

信じられないほどサイズがぴったりだったのに、中学生の私には少し、オトナッポスギテ、着る機会を伺ったまま、捨てることもできず、クローゼットの肥やしになっていた。

昨日、岡村靖幸に会えることがわかり、「こりゃ、着なきゃダメだと」思い立ち、ほつれとか、穴とか、ボタンとか、セッセと直した。

岡村靖幸に会えるとわかったその日にしたことがもう一つあった。

前日、こっそりリストバンドを懐に入れ、「この人たちなら」という人たちに渡した。

2人が楽しそうなのをよこめにみれて、私は本当に嬉しかった。

その人たちから、とにかくワンピースを褒められた。

上長からもとにかく褒められた。

クライアントのおばちゃんからも褒められちゃった。

褒め方は多種多様で、「似合ってる」「かわいい」「素敵」「かっこいい」など。

どの言葉も、ペコを褒めてくれているような気がして、もっというと、ペコが育ててくれた私を褒めてくれているような気がして、憧れていたかっこいい女の象徴であるペコに近づけた気がして、とにかく気分が良かった。

嬉しかった。

 

「ようやく、このワンピースが似合うようになった」

 

家に帰り、ワンピースを脱いで、気持ちよくお酒を飲んでいたら、スカートの部分にほつれをみつけたから、ほんの少し夜更かしをして、直した。

また、特別な日に着る。絶対。