舌先から散弾銃

ただの日記です

2022年9月23日

 私にとってパートナーを見つけるという行為は、事実上、理想の相手を探すという行為よりも大衆の排除という傾向の方が強い。

 高校1年生の入学してすぐの頃、野球部の男たちにいじめられかけた(いじりキャラ認定されそうだった)。そこまではいいけど、通学中の私を携帯で写真を撮って笑うみたいな超絶しょうもない遊ばれ方をされていると知り、ムカついた私は「うちは携帯持ち込み禁止の学校なのに、どうして彼らは携帯を持ってたんでしょうね、不思議ですね。野球部だけ試合とか多いし夜遅くなるかもしれないからオッケーみたいなルールあるんですか?」みたいなことを、可愛がってもらっていた野球部の顧問の先生に馬鹿なふりしてチクッた。彼らはその直後の試合には出れなかったそうで、これ以上悪行をチクらないでくれ、と休み時間に謝罪めいたこともされたけど無視した。野球部からのくだらない遊びはピタリと止まった。野球部の男がタイプと豪語する吹奏楽部の女に「謝ってんだから聞き入れてあげなよ」みたいなことを言われたけど「あはは〜」みたいことを言いながら静かにその女とも距離を取り、心底軽蔑した。それと同時に「あいつはやばい奴」認定をされたようだった。いじれないタイプのやばい奴、weirdoに私はなった。噂は広まり、サッカー部やラグビー部の男たちも静かに私と距離をとっていたように思う(なぜかバスケ部連中は遊んでくれたありがとな)。私の高校3年間は大衆から距離をとり続ける3年間だった。いかに「私はあなたたちとは違いますので」という態度を取り続けるかばかり考えていた。古い音楽を聴き、流行りの映画は観ず、ランプツェルとアナ雪は一生見ないと心に誓っていた。変わり者は、変わり者として、変わり者らしく振る舞うのが傷つかないと判断した。当然ながら、友だちと呼べるような人は少なかったし、文化祭も1人か、先生と回っていた(冷やかしすらなかった)。そんなやばい私を「かっこいい」とか言って、私とあなたは関わることはありませんのでという態度と距離を取るスクールカースト上位者もいたけど、そんな中で真っ向から「あんたやばいな、おもろいな、友達になろうよ」と言ってくれる人は本当に少なかった。なので私にとって高校の頃の友人とは、何にも変え難い存在で、最後の最後で私をひとりぼっちにしないために静かに手を繋いでくれていた人たち。本当に感謝をしている。18歳の明日香があるから今の明日香があるんだよ、と肯定の後押しをしてくれるのは他でも無い彼らしかいない。もし私がひとりぼっちだったら「18歳の明日香があるから今の明日香があるんだよ」なんて言えなかった。孤独を楽しむのは、1人じゃないと知っている人に与えられた特権のようなものだと思う。

 文化祭を一緒に回った男(先生)からの「外野は置いといて早稲田か美大に行ったら?」という言葉を鵜呑みにして、早稲田文構を目指した高2の夏。そして土壇場で「いや正直バリューで早稲田に進学しようとしてるでしょ私。美大の方が多分水があうわ、このままだと浪人しそうだし」と判断した当時の私の決断は完全に正しく、大学で過ごした4年間と、その過程で私を可愛がってくれた一回りも二回りも上の大人たち、そして大学で知り合った友人たちは私を限界突破させてくれた。どんだけ私がweirdoでも「明日香はそれでいい」という眼差しを向けてくれるだけではなく、なんなら「まだまだ我慢してるっしょ、完全解放しちゃいな、俺らも解放するから安心しなよ」みたいな態度を取り続けてくれた。「私、やっぱりおもろい人間だったんじゃん」と自信を持たせてくれたし、彼らと友だちになれた自分自身のことを誇らしく思わせてくれた。だってみんな本当にイカれてるしおもしろいんだよ。

 結婚して今年の10月で丸3年(早いね)。節目だし、というわけでバージンロードも親への感謝もないささやかな結婚パーティーを開き、そういう「谷口明日香は最高」と言ってくれる人たちを10人ほど呼んだ。やっくんの高校の頃からの友人と大人になってからの友人、私の高校の頃からの友人と大人になってからの友人、その彼氏や彼女なんかもきてくれた。たまにトイレでお弁当食べてたし、付属で途中まで他大受験だったし、寂しくて悲しい思いもたくさんしたけど、時空を超えて私を一人ぼっちにはしなかった友人たちが入り乱れる姿を見て、なんだか全てが報われたような気持ちになって、泣きそうになった、泣いてたかもしれない。ちゃんと一人一人にありがとうって言いたい。ありがとう。もう3年ほど音信不通だった大学のマブがなんでもない顔して来てくれたのも本当に嬉しかった。来てくれた友人たち全員に渡した写ルンですの現像写真を眺めては、余韻に浸っている。

 今よりもうんと若かった私にとってパートナー(親友)を見つけるという行為は、事実上、理想の相手を探すという行為よりも大衆の排除という傾向の方が強く、語弊を恐れずにいうならば、私が選んだ/選ばせてしまった友人たちだと思う。あなたなら友だちになれる気がするんだけど、あなたなら友だちになりたいんだけど、みたいな嫌な部分が私にはあった。当時の私ができうるベストな行動はそれしかなかったというだけなんだけど、それは完全に正しかったとまた思わせてもらった。

 疫病の関係もあり人数を少なくせざるを得なかっただけで、呼ばれて無いから友だちじゃないとか、そういうつもりはまったくない。こうやって書いている最中も、声はかけれなかったけど、心の中で感謝をしている友人の顔がぽつぽつと思い浮かぶ。そう、あなたのことですよ。他でも無いこれを読んでくれているあなたは間違いなく、わたしをひとりぼっちにしなかった人です。たとえ、私の高校時代や大学生を知らなくてもね。