舌先から散弾銃

ただの日記です

日記まとめ:脱五月病続六月病

・タトゥーを入れたからスッとした気持ちになったのかと思ったけど、これ単純に五月病が抜けて、ブチ上がり期こと6月が到来しただけだな。

・タトゥーを入れる所、絶対に自分からは見えるけど他人からはなかなか見えないところに入れたいなと思った。

・彫られている間、ずっと雨宮庸介さんの「石巻13分」という作品のことを考えていた。この作品は、雨宮さんの実母の筆跡をAIに読み込ませて生まれた字体で「石巻」と手の平に彫るまでの過程が描かれているインスタレーション作品。時間や記憶の遠近法を生み出し、身体に彫られたタトゥーが、東日本大震災が起こる前とそのあと/コロナ禍とその後/現実と虚構などの時系列をぐちゃぐちゃに話す雨宮さんの記憶を繋ぎ止めるような役割をしている。2日間で6回見た作品は人生で後にも先にもこれだけ。

・で、なんで思い出したかって言うと「手のひら、絶対めちゃくちゃ痛かっただろうな」ということが自分の身体を通してわかってしまったから。「記憶の文鎮」という言葉は彫られている間になんとなく思いついた。

・彫り終えたあと「傷が治ることが完成です」と、口調がめちゃくちゃ優しい顔がレイザーラモンRGにそっくりの彫師に言われた。傷が治ることが完成。なんだよそれ、めちゃくちゃ染み入っちゃうな。

・すこし前に親友とだべっていて「私って何かの記念碑としてピアスを開けたり、飲み終わったボトルとかを持ち帰るのかな」と思ったことがあったんだけど、そうじゃないわ。多分、たとえその日が何でもなかった日だとしても「ピアスを開けた日」「ボトルを飲み終わった日」「タトゥーを入れた日」として記憶され、記念日にしちゃうと思う。一人暮らし記念日、仕事をやめた日、大好きな先輩が退社した日、あの人と仲良くなれた日。全部忘れることなく覚えておきたい。記憶の文鎮を、私はたくさん持っている。できれば記憶の文鎮をどんどん増やすような人生だと良いなと思う。勲章のようにたまに記憶の文鎮を眺めることができたら、それはとても幸せな時間だろうなと思う。

・彫り終わって、髪切って髪の毛オレンジにしてもらって、最高の気分で近所の大好きな居酒屋にやっくんと待ち合わせる。やっくんに「学生の俺が聞いても信じてくれないと思うな。髪の毛がオレンジ色の彫りが入っている煙草も酒も尋常じゃないくらい飲む10こ下の女と結婚したなんて」と言われてめちゃくちゃウケた。

・で、しばらくタトゥーについてやっくんと話していたんだけど、タトゥーほど不可逆的なものもないよねと盛り上がった。

・それなりに理由を持って入れることを選んだけど(そしてその理由は例外なく全員ちょっとダサいと思うんだけど)、どんなに「60歳になった時に後悔しないように、恥ずかしいと思わないように」と思っても、そこに私の26歳5月は刻まれる。もうそれはどうあがいても変えられない事実。

・やっくんが「いいな、俺もタトゥー入れたいな」というから「入れるとしたらどんなデザイン?」と聞いたら、学生の時に訪れたというゲストハウスのオーナーの話をしてくれた。

・そのオーナーは、ふくらはぎにミッキーマウスのタトゥーが入っていたそうだ。それを見たやっくんは「かっこいい」と胸を打たれたという。「多分、若かった頃に彫っただろうそのミッキーマウスは、その人にとっての若かれしころというのが濃縮されていて、それを大きくなっても抱えているという姿は、人間臭くて、情けなくて、ださくて、かっこいいと思った」。

 

・この間「途中でやめる」の山下さんに取材したんだけど、本当に最高に面白い大人だった。できれば仕事ではない出会い方をしたかった。多分もっと仲良くなれたと思う。そんな気持ちで山下さんのメルマガを登録したら私の名前がたくさん出てきてて片思いが成就したみたいな気持ちになって嬉しかった。

・取材する人とされる人という約束や関係をどう破るかということが最近のテーマ。これは仕事に限らず。色んな約束事をぶち破る人間でありたい。

・というか「おもろそう」に抗えないんだ、私、たぶん。おもろそうという理由だけで修羅の道を突き進んで死んだことがたくさんあります。

・いまの仕事をしていてよかったなと思える瞬間はいくつかあるんだけど、一番は友だちになれそうな人をたくさん見つけられることだと思う。仕事という旅路の中で友だちを私はずっと探している。私は仲良しをホント血眼で探している。

・私はマジで取材した人は全員好きになって帰ってきてしまうんだけど、もうこれは才能だと思って、ドライな関係性でいようとすることを諦めることにした。でもウェットな関係を嫌がる人もいるだろうから、それは自分でちゃんと引き際を考える。

・こういう事が起きると、ほんとに「おれが好きだと思えるような人に好きだと思ってもらえる自分で居続けよう」と思える。

東陽町で仕事があって、遠くで手をふり合ったりたまに机の下で固く握手するような友人が時たま営むお店に久々に顔を出した。これで2度目の訪問。その日は店主の営業日だった。

・このお店のラブリィポイントは、まず間違いなく絶対に誰も寂しい思いをしないことだと思う。それは「お客さんがいい人ばかり」これに尽きる。あ、でも今の私が六月病で絶賛コミュ力ヤクザモードというのもあるかも。

・このお店のラブリィポイント。大瓶のサッポロ赤星がでてくるところ。ごはんがおいしいところ、そしてなによりもとびっきりお安いところ。

・それなりに色んなお店に行って、ああでもないこうでもないと考えている方だと思うけど、お客さんは何かしらの対価としてお金を払う。「ご飯が美味しい」というのは最もわかりやすい対価で「お店の人が面白い」というのはもっともわかりにくい対価だと思う。

・で、それは取材する人される人の話にもつながってきていて、いかに「お店の人である私は報酬に見合う態度や話題を提供します、お客さんであるあなたはそれに見合う報酬をください」という「もらう/もらわれる」の関係性や約束事を破るかにかかってるな、と思う。そっち方が、仲良くなれそうな人をみつけやすいだろうと思うから。例えば私と取材先やお店で出会った日の帰り道に「今日はいい日だったなー」とか思いながら、たまたま聞いてた音楽がまじで今日という日にぴったり!となったら、それはもうその音楽をその日のテーマソングにしてもらって、記念日認定していただいて、記憶の文鎮をおいていただきたい。そんな日が、私の周りで本当に起きてるんだとしたら、その時に初めて「対価」という言葉を使いたいと思う。

東陽町で飲んだ日、朝5時まで結局飲んだ。

東陽町のお店の店主は正真正銘の酒豪で、編集者として日中働き、夜は店主として店を開け、夜は母親になる。

・で、もちろん彼女と朝まで飲み、いまかかえている不満をぜーーーーーーーーーーんぶぶちまけた。

・つまるところ、私の不安というのは「子の親になったら、いまの私はこんなにおもしろいのにおもしろくなくなっちゃうんじゃないか」「お酒もしばらく飲めないし、こうして飲み歩く頻度はうんと減るだろうし、新鮮な空気が入らなくなって私、おもれー女じゃなくなっちゃうんだろうか」「みんな私のことを忘れちゃうんじゃないだろうか」「仕事も生活も自分のことも、今でこんなに満足しているのにどうして変化しなければならないんだろうか」に尽きる。

・「明日香さんのことを2年ばかりで忘れる人はいないし、他の人にとっての2年はあっという間でそれは明日香さんにとってもそうだよ」

・「親になったこと忘れて遊んじゃいそう」

・「あすちゃんの面白さは、もっと本質的なところにあるよ、安心してくれよ」

・「明日香さんって本当に結婚してんの?」

・「明日香さんって本当に社会人?」

・「明日香が一番、社会に出てからも結婚してからも変わらなかったよ」

・これは全部別の人が言ってくれたことなんだけど、この言葉たちにわたしがどれだけ励まされたか。文鎮化しました。

・そんなあれこれを経て、世の中に変わらない物なんてなくて、毎日必ずほんのわずかずつ、そのままなのに変わっていく。かわらないもの、かわるもの(EVERYTHING STAYS)という言葉をようやくちゃんと理解できた気がしたのでした。

・あんたがその気になれば、私はきっと面白い人間のままだし、みんなもそう思ってくれるよ。そのために26歳の私はジタバタしてきたので、30歳、40歳、50歳、60歳の私もどうぞジタバタしてくださいね、という指切りげんまんをしたのが、先日のお話。