舌先から散弾銃

ただの日記です

わたしからの愛のバラード

 

こうやって、1人、ベッドで眠る日も今日が最後。ある日は朝まで眠れず、やけくそに酒をた飲んだり、友達と夜な夜な遊んだり、またある日はやっくんの長袖を抱き枕に着せて眠ったりもした。そうやっていくつもの夜を乗りこなしてきた。

長かった、本当に長かった。

明日やっくんが島から帰ってくる。

正直、あと1年あったらわからなかったな。遠距離限界3年説はあながち間違ってないのかもね。

年末に引っ越してから早3ヶ月。鋭意、捨てては浸り、浸っては捨てている。引っ越し準備や、片付けというのはノスタルジーだとか、思い出だとか、おセンチに耐えることが主な仕事になってしまって、懐かしい本は読んでしまうし、写真だって撮りたくなるし、作業は全く進まない。いまもこうしてポチポチと書いているわけだし。

とそうこう書いていたら、ウトウトしてしまって、本当のことを知りたいだけなのにおひとりさまタイムはあと1時間でおしまい。

新宿中央公園横のデニーズで赤ワインを飲みながらこれを書いてる。

この新宿中央公園で、2年前の春、船が出るギリギリまで夜桜を見てた。帰り道、大江戸線のあの深い深いエスカレーターに乗った彼の後ろ方が見えなくなったとき、わたしは静かに、声を出さずめちゃくちゃに泣いた、泣きながら前を向いて歩いて、帰った。

あの時すれ違った人たち、怖がらせてごめん。

 

この、島と本土、距離にして199km、時間にして8時間かかる遠距離恋愛は、荒療治ではあったけど、かなり色々学べた。

"会話をする"という点、この島生活で、かなり考えは変わった。「"対話"は全て良い」ということでもどうやらないこと、"待たずして、待つ"という会話・対話の方法があること、"黙して語らず"という方法があること、だれかを褒める時は第三者に伝えるのが気持ちいいこと、会話・対話の中での忖度はなんの役にも立たぬこと、自分のことを自分からある程度話す、開くことの偉大さなどを20代はじめの方で知れたのはかなり良かった。

信号機のない島で夜散歩に出かけて、満天の自然プラネタリウムでビールあけながら彼氏とぽつぽつと色々話ができて良かった。

「こういうとき、こいつはだめだ!」という指標が出来て良かった。

大体の問題は会えば解決する、ということが知れて良かった。

何かを選ぶということは、何かを捨てるということだけど、それは並行世界にとっては良いことだと知れて良かった。(平行線の二本だが手を振るくらいは!)

ヘリコプターに何回も乗って楽しかった。

天気図が読めるようになったこと、波の読み方、潮の読み方、船酔いしない方法、魚のさばき方などもにじゅうさんさいでしれてよかった!

ここ1週間はスピッツ/スピカばかりを聞いてるんですけど、これ、すごいですね。

「言葉より触れ合い求めて突き進む」わたしが2年で知れて良かったことナンバー1は「割れ物は手に持って運べばいい」じゃん!ってことですよ。

 

今わたしはかなり緊張している。

去年の夏休み、わたしはかなりショックを受けた。仕事と彼氏だったら自分は仕事を選ぶ人間だと思っていたし、友達と彼氏なら友達を選ぶ人間だと思っていたんだけど、完全に彼氏を選びつづけてた。他の選択肢が上がらないほどに。普段は遠くに暮らしているから、とか特殊な理由はあるにせよ、「他の何もかもを差し置いて彼氏を優先する自分」の存在にかなりショックを受けた。

今わたしが恐れていることは、他の何よりも彼氏を優先しつづける(!)自分になってしまうこと。まだまだ夜遊びしたいし、友達の家に泊まりに行ったり、へべれけになるまでお酒も飲みたい。1人で旅行だってしたいし、実家にも月一で帰りたい。

だからといってそれらを禁止しない彼だから、今まで通り好き勝手やれる。それなのに、他の全てを投げ捨てて、彼氏との時間を優先してしまいそうな自分が怖い。

もしーも、それがはじまってしまったらわたし自身、かなりつまらなくなると思う。新鮮な空気が入らないのは、かなりまずい。それだけは絶対に避けたい。

ま、「もしーも」があっても、間違いに気付ければいいだけのことなんだけどな。

 

妙な緊張感が漂う同棲前夜。

いざ、尋常に。


キスしましょう
七つの海
果てぬ大地
仰ぐ空より
あたしからの愛のバラード
あなたへの愛のバラード