舌先から散弾銃

ただの日記です

雲を抜け屋根を抜け届くわ


最近また、「踊ってばかりの国」に入国している。当時は4人編成。既に脱退してしまったDr.佐藤とGt.林がいた。重たく、けれどこの上なく正確で鋭く、冷たさすらあるドラム。目をつむれば、前後不覚になってしまうような轟音で埋め尽くすギターとベース。そして下津の狂気じみた歌声と目力と迫力、それでいてとにかく楽しそうにギターをかきならす。破壊的で耽美的。破壊があってこそ、そこに何かは建つよねー、とかおもう。だからこそ、そのサウンドの根幹を成していたDr.佐藤とGt.林の脱退は大いに落胆した。

 忘れもしない、2015年10月ワンマンでの「東京」。私の世の中への憤り(わらっちまうぜ)を飲みつくす下津の怒り。何でこの人はこんなに怒らなきゃいけないんだろう、とか思ってた。裏腹に「そんなことももうどうでもいい、怒りを抱えながら、僕は僕としていく」という振る舞いで下津は歌う。だって、怒ってるのにめちゃくちゃいい笑顔で歌うんだよ。でも、いつかこの人が怒りを優しさに溶かしたら、どんなにいい唄になるんだろう、ともおもった。

『嫌でも過ぎてく優しい時間を 僕は大切に思ってる』
シャクナゲ/踊ってばかりの国

シャクナゲ」の中で、演奏は次第に加熱してゆき、下津は「憶えているし/思ってる」と繰り返す。「不在の存在は、そこにそれがある、と知っていることだけで充分」と言うことを彼も歌い始めてくれたことが嬉しい。ほんとに。


『自負心 自尊心両肩に乗せて
行ったりもどったたり 忙しい人へ
黒髪束ねて ブラインドタッチで
世界を動かす数字の山と
僕らは折り合いつけないでしょ
乗っ取って 僕を乗っ取って 体はいらないから』
ghost/踊ってばかりの国

 シャクナゲとghostの2曲をさっき聞いた時、「踊ってばかりは変わった」という事実がストンと胸に落ちた。正直、以前の踊ってばかりの国が良かったという事実はぜんぜん変わらない。だからこそ現体制の彼らの音楽を頭ごなしに否定していたいやな部分があった、あってしまった。それがこれら2曲をきいて、心の底から今の彼らの音楽を「踊ってばかりの国の音楽」だと思えた。下津が怒りを優しさに溶かし始めてくれた。その事実が心から嬉しい。また心の底から彼らの音楽を愛して、彼らの音楽に救われる、勇気付けられる日々が過ごせるのだ。こんなに嬉しいこともそうそうない。

 私は、CD音源よりも完璧なライブ音源厨なんだけど、それは生ならではの、生々しさ、その時の気温・天気、客、バンドを取り巻くなにもかもに左右されるところが好きだから。うまいも下手もない。下津はそれを出すのが本当に天才的にうまい。表情やギターをかき鳴らす動きすらも、そのひとつひとつが歌の一部。私、顔しわくちゃにして歌う人にセクシーさを感じるんだよね。

 

『脱げたサンダル この恋よ forever
あのチャンネルには映らないようにね
雲を抜け 屋根を抜け届くわ forever
パパとママにはずっと内緒だぜ』
boy/踊ってばかりの国

 内緒を永遠に続けること。でもその“内緒”はきっとパパとママもやっていたことで、子供たちもナイショを持ち続けていけば、内緒も共有された永遠になる。

余談ですが、彼に憧れた大学1年生の秋、私は髪を金髪にし、波パーマをかけ、茶色いハットを毎日かぶり、そのいでたちで、横山健モデルのイグアナをかき鳴らしたりもしていた。「悪い事は中学までに全部やった」と下津が言うようにググればわんさかその悪事はでてくる。
私も悪いことは、大学2年生までに全部やった。