舌先から散弾銃

ただの日記です

孤独との関係

 

月曜日=週初め。
初めての週初め。1週間、経ちました。
新しい環境に投げ出されると、自分がどういう人間なのか、価値観、理想像。
こんなに自分のことを考える時間、今までもあったけれど、なかったかも。


所沢。乗り換え。この時間は座れるの。


やっぱり、群れたがる人たちを白い目でみちゃう。
やっぱり、授業をなよなよ授けている人たちに無性に腹立つ。(大教室で顕著)
(単位だけが欲しいなら帰れよ!!!!矛盾してるけどさぁ!!)
やっぱり、文学が好きだし、文学が好きな人も好きだし、日本語の選び方が綺麗な人が好きだし、1人でもやってゆけているひとが、すきだ。
やっぱり、1人が好きだし、なんなら自ら進んで1人になってるのかもしれない。
人脈を自ら深くしたがらないというのは、あまりいいとは言えないかもしれないけど、身の丈にはあってます。でも、孤独や、寂しさは止まることはない。


韓国から来た留学生の子と、仲良くなりました。
彼は20歳。
2年間、日本の学校で日本語を勉強してからにちげいに入ったらしいのだけれど。
まーーーーー日本語が上手なのよ。
上手というのは、漠然としているので
もっと詳しく言うと、たった2年で、日本人の日常会話を理解して、会話できる。
私たちは、6年かけたって(下手すりゃ12年だ)、英語の日常会話を理解も、会話もできないのに!!

「一度韓国語に翻訳してるの?」
との私の質問に
「いや、もう日本語のコミュニティに入ってる、脳みそがね。それは、勉強するって決めたときに決めたの」と。
ほら、"脳みそを日本語のコミュニティに入れる"なんて日本人でもなかなか思いつかない。


友達は、いないわけじゃないんだよ。
今も、昔も。
ひとりじゃないかもしれない、と思えているから、ひとりぼっちはやめられない。


私は、今、どの時代のどの私よりも、完全に満ち満ちている状態なはず。
授業は文句無しにおもしろいし、そこにいる人たちも、もちろん。それなのに。


日光東照宮には、ある一本の柱だけ柄を"あえて"間違えたり、階段の高さを"あえて"バラバラにされている。
その昔、完全なモノは、いつか必ず朽ちるといわれていたので(聖者衰弱だね)、
日光東照宮は"あえて"不完全にできているらしい。
全部を手に入れると何かに亀裂が生じるのは、この原理と同じなのか?
だとしたら、永遠に完全に満ち満ちた状態を保つことは不可能なのか?


先日、SF小説論という授業を受けたの。
SF小説の中核は、そのどれもに"人ならざるもの"がいるということだ。
人ならざるものとは、(まぁ色々な定義があるらしいのだが、中略)意思疎通の方法が違うもの。
例えば、人間は口で空気を振動させて聴覚で意思疎通を図る。
人ならざるものは、(たとえば)頭に変な電球みたいなものが着いていて、それをチカチカさせて視覚で意思疎通を図る。


池袋ついた。乗り換え。


あー。有楽町線直通だったみたい。

有楽町線で池袋まできちゃった。
定期券外扱い。もったいない……。仕方なし。130えん……


山手線。


……人ならざるもの、容姿が変わっている___たとえば頭が2つあるとか、手が4本あるとか___そんな人たちも、言葉を"話して"いれば、それは人なのだろうか?
言葉を"話し"ていても、思っていることを言えない人は、人ならざるもの?


江戸川乱歩の孤島の鬼 というのを読みました。
推理小説のはずなのに、胸が悲しくなりました。