舌先から散弾銃

ただの日記です

2014/03/05

上下合わせて10000円でお釣りのくる、
ファストファッションのスーツを着ている自分を鏡で見て、「やっと似合うようになった」と思った。
そのあとすぐ、この格好のまま、あのクソ寒い大好きな定位置で自慢して周りたい、と思った。
こうして、感触をつかんでいくのだ。
 
ショッピングモールを母とぶらついて悟った。
今時金髪なんて、ヤンキーでもいないのだ。
雑誌を買わない女の末路はこんなもの。
初めての染髪は普通茶色。なんていったい誰が決めたの?
自分の髪に染み付いたクスリのニオイに自分の鼻をくすぐらせて、ニヤニヤしながら颯爽と歩く。
このニオイを嗅ぐとハイになっちゃうから、多分本当に私にとってはこの上ないオクスリなのかもしれない。
私は私。
でも、見た目より、もっとずっと普通な女の子だ。
この私の発言を、そうだよねーそうなんだよねーって頷いてくれる人たちが、多分私と相思相愛な人だ。
 
男女の付き合いにおいては、楽しみと苦しみは表裏一体。
恋人であれ、友人であれ、痛みを伴わない付き合いなど持つに値しないと考えてる人は大勢いるはず。
なぜなら、痛みによって人は成長するから。
しかし、成長するための痛みではなく、
ただ単に、痛みでしかなかったら?
それでも付き合いを続ける者は、マゾなのか、楽観主義なのか。
誰かを愛した時、どうすれば自分の限界を知ることができるのだろう?
 
感情というのは、あの時を思い出そうとして思い出すと思い出せないほど、生々しいものだと思ってる。
だから、メモ帳を携帯して、スマホを携帯していると言っても過言では無くなってきた。
ツイッターはもはや、社交辞令程度のフォローに成り果てて、自分の独白、
(テレビでは漏れる)ニュースと好きなタレントやアーティストの出演情報の確認ツールと成り果てているし、ラインだって大勢の人からの通知を切った。
もう、この便利な世界に飽き飽きなのだ。
無機質なゴシック体の世界に何を抱いて、何を想像しろというのか。
黒電話や、話そうと思ったら会うしかないあの時代が恋しくて仕方ないのだ。
まぁ、"あの時代"を生きていたわけじゃないのだけど。
まぁ、便利を知ったパツ金ナルシストサブカルゲス女は不便利には戻れないと自負もしているのだけど。
いつか、この激しい憤りが、恋しさが、嬉しさが、苦しさが、つらさが、もどかしさが、ほかの誰かに繋がるとしたら。その日のために書きなぐる。