舌先から散弾銃

ただの日記です

考えるべき、大事なこと

日本の人口は約一億二千六百万人。
されど、どうにもならない孤独で、船が難破して遭難したような気分になる時がある。
サバイバルには抗体があるはずなのに、ビンにSOSのメッセージを入れたくなる時が。
通信システムは発達した、今は行動よりも、技術は発達したというけれど、本当に役に立っているのだろうか。
本音と建前がわかるのはなんでなのか。
みんな、シールでもはってんのか、みえてるのか。

 

自分のような友達がいたら。自分のような恋人がいたら。自分のような親がいたら、と、本気で思う。

そんなことを湯船につかりながら考えていたら、
水に映った自分の姿の美しさに恋い焦がれ、焦がれ過ぎて飢餓、やがて餓死したという、ナルキスソスのことを考えた。
客観的に見たらどの程度か、誰も教えなかったのだろうか。

どうしてなのか。周りのの姿は、中身は、持ち物は、服は、靴は、バッグは、所業は、よく見えるのに、
自分のこととなると目が曇る。

金魚すくいだ。
すくったものの、「はい、おめでとぉ~」とか言われながら、
ビニール袋に入れられた金魚を渡されても、特段飼うつもりもなかった。困る。
だからといって、ビニール袋のまま飼うのも心が、痛む。
だから、お金を払って救(掬)った金魚を
「あ、いらないです、リリースしていいですか」とかいって手放すあの感覚。

手に入れたくてしょうがなかったものを、手に入れた瞬間に手放したくなる。
で、また考える。

マリッジブルーってこういう感覚なのだろうか。
必死で見つめれば、自分の本当の姿が見えるのだろうか?
それとも、飢餓して、待つのは死?


私は悪いことがあると、おみくじで凶が出たせいだと思うタイプで、良いことがあると、「次は何かとんでもなく大変な、へこむことが起こる」と思うタイプ。
前向きに後ろ向き。

で、そこでまた考えた。
人生にプラスマイナスがあるとして(経験上あるものだ)
マイナスがあったから、プラスがある。と思えることなんて、あるのだろうか?
気づくのはいつも過ぎ去ったあとで、悪いことがあった瞬間に
「よし、これは不幸貯金だ、きっといいことがある」と思えるものなのか。
思えたとしても、それは、反射的に”思った”のではなく、
言い聞かせていることのほうが多いのでは?
「昔があるから、今がある」という言葉があるが、この言葉は必ずしもプラスの意味をもつものなのか?

子供のころ、パンツめくりが好きだった子が、幼少期にあらかた性欲を発散させたから、三十路を過ぎたころにパンツめくりをしない。という話があるのか?
どちらかというと、「子供のころから、パンツめくりが好きで・・・だから、いつかやると思ってたんですよ・・・」と赤いエプロンをしたおばさんが、”近隣の人は・・・”というテロップ入りで、ニュースエブリィとかで放送されているのをよく見る。

 

逆もあるかもしれない。

子供のころ、髪の毛を、ピンク、ミドリ、アオと一巡し、洋服を、パンク、ゴシック、ロリータ、モードと粗方一巡した。だから三十路を過ぎた今、平常心でスーツを着て就職活動できてますっ。はいっ。

(混線していてそんなにたとえもうまくない。)


良かれと思っていた、薄いペルソナが、ただの一枚の大きな壁になり果てることは?
薄い半紙一枚も、1095枚集まったら、下敷きくらいな硬度になってしまうものなのだろうか?
偽善も善。
これも、言い聞かせていただけなのだろうか?

たとえどれほどいい関係であろうとも、関係は妥協の連続である。
私たちはどれだけ相手のために自由を犠牲にするべきなのか?できるのか?
どれだけ自分自身でいられるのか?
”八方美人ではない”仮面が。”冷たい”仮面が。”仮面がない”仮面が。
「薄ければよかろう」と、思って大量生産した様々な仮面が、自己防衛だったはずの仮面が、溢れかえり、かえって、自分の部屋を圧迫していたら。
それは、燃やすしかないのか。燃えないのか。燃やすとダイオキシンが出て体に有害なのか。

重ねた半紙一枚の”妥協”が危険信号をともすのはいったい、いつなのか?

 

たぶんこれは、考えるべき、大事な話なんだ。