2014/02/28
最近読んだある有名な社会学者の本に、
「楽しかったと思う日のことはメモしない。つまらなかったと思う日をメモするようにしなさい」
と書いてありました。
それでこそ、思考は整理されると。
やってみようと、パソコンに向かってみたものの何も紡げず。
悔しいような、妥当なような。
何もない日を回想するときに頭の中をうろつくのは、
今日何を食べたとか。何を観たとか、何を読んだとか。
何も実にならないことばかりなのよね。
でも、「”何もしないということをする”日」が私はたまらなく好きで、
むしろ、これが最低でも二週間に一度はないと、苛々したり、疲れやすくなったり、寝つきが悪くなったり、寝起きが悪くなったり。
体のメカニズムってあるわよね。体は資本。健康第一。
部屋の掃除機かけた時、去年のスケジュール帳を発掘して、読み返してみた。
私の使っていたスケジュール帳は、一日ごとにタイムテーブルがふってあって、
To doリストみたいに使ってた。
その日、何時間、何の教科の、何のテキストの、どの項目を、どこまでやるか。
もう、ボールペンでみっちり、赤いボールペンで横線二本。ひたすらその繰り返し。
自画自賛ではないけれど「うわぁ、勉強してたなぁ……」って思っちゃった。
高校一年生の時、私はクラスで下から数えたほうが早かった。
高校二年生の時、努力は報われるのかなーーーなんて思える程度にはなった。
高校三年生の時、ちょっと自信ついちゃって、挑戦しちゃって。
2013年3月2日の記述。
9:00~11:30 数学質問@学校
13:00 ③ウィリング、エレメント(A,B)
英文②
4step A
17:30 青テキ・リード
00:00 古文訳せるか
森田先生ありがとう!一年後は私も卒業、かっこよくなれてるかな?
何が変わってて、何が変わらないままでいるかね。
たしかこの日は、テスト一週間前とかで、
受験勉強と、(必要もない)数学で赤点取らないように必死だった。
森田先生が大協力してくれて、卒業式で本当は登校日じゃないのに、クラスで勉強してたのよね。
なるほど。
まさか一年前の自分にこんなに考えさせられるとは夢にも思わず。
もう、もう、もう一年、本当にきっかり一年過ぎたのかと、動揺を隠せず。
「何が変わって、何が変わらないままでいるのか」
……その場で、ベットに座って、30分、1時間かもしれないな。考えてみた。
そしたら、変わってないものと言ったら、
絞り出したって、服の趣味と、好きな食べ物と、好きな芸能人と、趣味程度なもので、あとは全部全部変わってた。
好きな音楽、好きなにおい、好きな人、苦手な人、人間関係、損得勘定、感情の起伏etc……
私がこの1年で変わったのか。環境が変わったのか。
でも、私、その思考の中で悟った。
変わるということが決して一概に悪いとは言えないのだ。
関係が良くなったことも「変化」というものね。
少なくとも何人かの友人との関係は、強靭になったし、先生との関係もグットギュットした。
少しは女の子になれたはずだし、それなりに夢も願望も叶えた。
それとも可能なんだろうか、変化しないって?
私はやっぱり、”諸行無常”という言葉が好きなようだ。無変化。
”この世に存在するすべてのものは、同じ状態を保つことなんてなくて、移り変わっていくものでございまして。永久不変なものなんてごじゃりません。
だから、いい意味でも、___悪い意味も少しは含んでしまうものだけど、いずれはすべて過去になり、記憶になるのですから。
それを、良き記憶にするのか、悪き、思い出したくない記憶にするのか、それが問題でござりんす。だから、執着を捨てなさい”
やっぱり、変化も無変化もあるのだ。
でも、どちらも悪いことじゃあないのだ。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
聖者衰弱の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢の如し
たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵と同じ
言葉に魅せられているのは変わらないのだ。