舌先から散弾銃

ただの日記です

日記まとめ:脱五月病続六月病

・タトゥーを入れたからスッとした気持ちになったのかと思ったけど、これ単純に五月病が抜けて、ブチ上がり期こと6月が到来しただけだな。

・タトゥーを入れる所、絶対に自分からは見えるけど他人からはなかなか見えないところに入れたいなと思った。

・彫られている間、ずっと雨宮庸介さんの「石巻13分」という作品のことを考えていた。この作品は、雨宮さんの実母の筆跡をAIに読み込ませて生まれた字体で「石巻」と手の平に彫るまでの過程が描かれているインスタレーション作品。時間や記憶の遠近法を生み出し、身体に彫られたタトゥーが、東日本大震災が起こる前とそのあと/コロナ禍とその後/現実と虚構などの時系列をぐちゃぐちゃに話す雨宮さんの記憶を繋ぎ止めるような役割をしている。2日間で6回見た作品は人生で後にも先にもこれだけ。

・で、なんで思い出したかって言うと「手のひら、絶対めちゃくちゃ痛かっただろうな」ということが自分の身体を通してわかってしまったから。「記憶の文鎮」という言葉は彫られている間になんとなく思いついた。

・彫り終えたあと「傷が治ることが完成です」と、口調がめちゃくちゃ優しい顔がレイザーラモンRGにそっくりの彫師に言われた。傷が治ることが完成。なんだよそれ、めちゃくちゃ染み入っちゃうな。

・すこし前に親友とだべっていて「私って何かの記念碑としてピアスを開けたり、飲み終わったボトルとかを持ち帰るのかな」と思ったことがあったんだけど、そうじゃないわ。多分、たとえその日が何でもなかった日だとしても「ピアスを開けた日」「ボトルを飲み終わった日」「タトゥーを入れた日」として記憶され、記念日にしちゃうと思う。一人暮らし記念日、仕事をやめた日、大好きな先輩が退社した日、あの人と仲良くなれた日。全部忘れることなく覚えておきたい。記憶の文鎮を、私はたくさん持っている。できれば記憶の文鎮をどんどん増やすような人生だと良いなと思う。勲章のようにたまに記憶の文鎮を眺めることができたら、それはとても幸せな時間だろうなと思う。

・彫り終わって、髪切って髪の毛オレンジにしてもらって、最高の気分で近所の大好きな居酒屋にやっくんと待ち合わせる。やっくんに「学生の俺が聞いても信じてくれないと思うな。髪の毛がオレンジ色の彫りが入っている煙草も酒も尋常じゃないくらい飲む10こ下の女と結婚したなんて」と言われてめちゃくちゃウケた。

・で、しばらくタトゥーについてやっくんと話していたんだけど、タトゥーほど不可逆的なものもないよねと盛り上がった。

・それなりに理由を持って入れることを選んだけど(そしてその理由は例外なく全員ちょっとダサいと思うんだけど)、どんなに「60歳になった時に後悔しないように、恥ずかしいと思わないように」と思っても、そこに私の26歳5月は刻まれる。もうそれはどうあがいても変えられない事実。

・やっくんが「いいな、俺もタトゥー入れたいな」というから「入れるとしたらどんなデザイン?」と聞いたら、学生の時に訪れたというゲストハウスのオーナーの話をしてくれた。

・そのオーナーは、ふくらはぎにミッキーマウスのタトゥーが入っていたそうだ。それを見たやっくんは「かっこいい」と胸を打たれたという。「多分、若かった頃に彫っただろうそのミッキーマウスは、その人にとっての若かれしころというのが濃縮されていて、それを大きくなっても抱えているという姿は、人間臭くて、情けなくて、ださくて、かっこいいと思った」。

 

・この間「途中でやめる」の山下さんに取材したんだけど、本当に最高に面白い大人だった。できれば仕事ではない出会い方をしたかった。多分もっと仲良くなれたと思う。そんな気持ちで山下さんのメルマガを登録したら私の名前がたくさん出てきてて片思いが成就したみたいな気持ちになって嬉しかった。

・取材する人とされる人という約束や関係をどう破るかということが最近のテーマ。これは仕事に限らず。色んな約束事をぶち破る人間でありたい。

・というか「おもろそう」に抗えないんだ、私、たぶん。おもろそうという理由だけで修羅の道を突き進んで死んだことがたくさんあります。

・いまの仕事をしていてよかったなと思える瞬間はいくつかあるんだけど、一番は友だちになれそうな人をたくさん見つけられることだと思う。仕事という旅路の中で友だちを私はずっと探している。私は仲良しをホント血眼で探している。

・私はマジで取材した人は全員好きになって帰ってきてしまうんだけど、もうこれは才能だと思って、ドライな関係性でいようとすることを諦めることにした。でもウェットな関係を嫌がる人もいるだろうから、それは自分でちゃんと引き際を考える。

・こういう事が起きると、ほんとに「おれが好きだと思えるような人に好きだと思ってもらえる自分で居続けよう」と思える。

東陽町で仕事があって、遠くで手をふり合ったりたまに机の下で固く握手するような友人が時たま営むお店に久々に顔を出した。これで2度目の訪問。その日は店主の営業日だった。

・このお店のラブリィポイントは、まず間違いなく絶対に誰も寂しい思いをしないことだと思う。それは「お客さんがいい人ばかり」これに尽きる。あ、でも今の私が六月病で絶賛コミュ力ヤクザモードというのもあるかも。

・このお店のラブリィポイント。大瓶のサッポロ赤星がでてくるところ。ごはんがおいしいところ、そしてなによりもとびっきりお安いところ。

・それなりに色んなお店に行って、ああでもないこうでもないと考えている方だと思うけど、お客さんは何かしらの対価としてお金を払う。「ご飯が美味しい」というのは最もわかりやすい対価で「お店の人が面白い」というのはもっともわかりにくい対価だと思う。

・で、それは取材する人される人の話にもつながってきていて、いかに「お店の人である私は報酬に見合う態度や話題を提供します、お客さんであるあなたはそれに見合う報酬をください」という「もらう/もらわれる」の関係性や約束事を破るかにかかってるな、と思う。そっち方が、仲良くなれそうな人をみつけやすいだろうと思うから。例えば私と取材先やお店で出会った日の帰り道に「今日はいい日だったなー」とか思いながら、たまたま聞いてた音楽がまじで今日という日にぴったり!となったら、それはもうその音楽をその日のテーマソングにしてもらって、記念日認定していただいて、記憶の文鎮をおいていただきたい。そんな日が、私の周りで本当に起きてるんだとしたら、その時に初めて「対価」という言葉を使いたいと思う。

東陽町で飲んだ日、朝5時まで結局飲んだ。

東陽町のお店の店主は正真正銘の酒豪で、編集者として日中働き、夜は店主として店を開け、夜は母親になる。

・で、もちろん彼女と朝まで飲み、いまかかえている不満をぜーーーーーーーーーーんぶぶちまけた。

・つまるところ、私の不安というのは「子の親になったら、いまの私はこんなにおもしろいのにおもしろくなくなっちゃうんじゃないか」「お酒もしばらく飲めないし、こうして飲み歩く頻度はうんと減るだろうし、新鮮な空気が入らなくなって私、おもれー女じゃなくなっちゃうんだろうか」「みんな私のことを忘れちゃうんじゃないだろうか」「仕事も生活も自分のことも、今でこんなに満足しているのにどうして変化しなければならないんだろうか」に尽きる。

・「明日香さんのことを2年ばかりで忘れる人はいないし、他の人にとっての2年はあっという間でそれは明日香さんにとってもそうだよ」

・「親になったこと忘れて遊んじゃいそう」

・「あすちゃんの面白さは、もっと本質的なところにあるよ、安心してくれよ」

・「明日香さんって本当に結婚してんの?」

・「明日香さんって本当に社会人?」

・「明日香が一番、社会に出てからも結婚してからも変わらなかったよ」

・これは全部別の人が言ってくれたことなんだけど、この言葉たちにわたしがどれだけ励まされたか。文鎮化しました。

・そんなあれこれを経て、世の中に変わらない物なんてなくて、毎日必ずほんのわずかずつ、そのままなのに変わっていく。かわらないもの、かわるもの(EVERYTHING STAYS)という言葉をようやくちゃんと理解できた気がしたのでした。

・あんたがその気になれば、私はきっと面白い人間のままだし、みんなもそう思ってくれるよ。そのために26歳の私はジタバタしてきたので、30歳、40歳、50歳、60歳の私もどうぞジタバタしてくださいね、という指切りげんまんをしたのが、先日のお話。





拝啓6月です

私の強さを恐れず対等に見てくれる人がいい、と強く思う。6月間近。例によって例の如くかなりブチ上がり気味で、喫煙所で声をかけられた見知らぬ女と朝まで飲んだり、居酒屋で声をかけられた夜職っぽい男(美容師だった)と健全デートを数回したり、ティンダーで適当な人間とだらだらとメッセージを送りあったり、歌舞伎町のスラム街で声をかけてきた頭の悪そうな外人についてくだけついてって酒奢ってもらってチャリで逃げ帰ったり、1人でクラブに行ってテキーラがぶ飲みしたり、相変わらず会社の遊んでくれる歳の近いアニキたちや同僚たちと飲み明け暮れたりしている。この夏が終わったら私は子の親になるかも知れなくて、子の親になればしばらくはこの愉快で痛快ではちゃめちゃな毎日とは一旦お別れと思うと「全部やっちゃうゾ!」に刹那感がブーストされてる感じがして胸がぎゅっとなる。酒も煙草も一旦お休みせんとなーとか思うと死ぬど!という量の酒やタバコを摂取をしたくなる。元より計画性があるようでないし、かなり生き急いでる方だとは思うけど今回ばかりは刹那感がマシマシでやっぱり胸がぎゅぎゅっとする。べろべろで送った記憶のないメッセージに戦慄し謝罪の連絡を各所にしていたら多分寂しかったんですよと言われて、あーなるほどな確かにそうかもなとか思ったりしたが、寂しくなる要素なんて今の私にはないはず。なのになんで寂しいという言葉がこんなにストンと胸に落ちたのかを考えるとやっぱりよぎるのは「刹那」の一言。刹那、できればこの短く美しい瞬間が永遠に続いてほしいと思う。そのために私は努力も犠牲も厭わない。本末転倒で逆説的だけど強く私は今そう思ってる。 劇的な変化などはこの世にはないと信じてる。未来の私に大丈夫だよと言ってあげられるのはきっと今の私しかいないのだ!私の強さを恐れず対等に見てくれる人がいい、と強く思う。

どうしてこんなに錦鯉のことが好きなんだろう

 たぶん、彼らが許される世であって欲しいと思っているんだと思う。その願いと、そっちの世の中のほうがなんだか楽しそうだという希望を見出してんのかな。錦鯉が好きな理由を考える時、西成あいりん地区の三角公園を思い出す。どんなに治安が悪くて、どんな人相の人がいるんだろうとか思って行ったけど、公園で過ごしている人たちは朝っぱらから発泡酒を飲み、チューニングのあってないギターを弾き、踊り、その脇でボールもないのに全力でピッチング素振り(バッティングじゃない)をし、事情はあるにせよ彼らはかなり幸せそうにみえた。私にとって錦鯉は、三角公園でみたあの光景に近く、彼らが注目されている現状は三角公園に沢山の観光客が集まっている様子を想像する。あの空間はあのまま保たれていて欲しい。西成あいりん地区でおっさんが昼間っからピッチング素振りをしていることが許される世の中であって欲しい。

 先日、空気階段もぐら、ニューヨーク嶋佐、トマホーク坂井が「ボクらの時代」に出演していて、坂井が「結局、何かで抑圧された人が自己解放のために芸人やってる人がほとんど。俺はおやじコンプレックスだと思う。おやじの人生みたいになりたくない」と言っていたんだけど、芸人に限らず人は自己実現とか自己解放とかなんやかんやできっかけや理由、目的を求めるもんだと思う。元々あるのではなく能動的に探す、見つかる。でも彼らはずっと受け身。野心や頑固さ、見栄、敵意などの突き動かすような大きな意思を感じない。そりゃM1の優勝を狙っているくらいだから無いわけではないと思うけど、熱すぎることもなくかといって冷めすぎてもいない。2人が出演したしくじり先生で、優勝を逃した2020年M-1を「僕たち2人に、人生で初めて悔しいという気持ちが芽生えた。しかもその悔しさはどんどん増した」と(主に渡辺が)振り返っていて徹底的に情けないと思いつつ、その情けなさを恥を忍んで言えるおじさんたちにちょっと胸を打たれた。

 「誰も傷つけない笑いなんてものは本当に存在するのか」というテーマを一人遊びのおもちゃにしていた時期があったんだけど、表現をする人は常に誰かを傷つけるリスクがあり、たとえどんなに気をつけていても知らないところで見知らぬ誰かが傷つき不快な思いをしている可能性は捨てきれない。実際にミルクボーイのM1決勝ネタをみていた友人が「モナカってチョコモナカジャンボのこと?」と彼氏に聞いたところ「最中も知らねえのか」と随分バカにされ傷ついたみたいなことを言っていたし、さっきの三角公園の話も、きれいなところだけを観てわかったような態度でいるよなと自分自身で思う。

 私は2020年M-1の錦鯉のネタ「パチンコ」でソファから落ちるほど笑ったんだけど、何が痛快だったかっていうと、パチンコに行ったことない人にとって、まさのりのあの顔が初めて見る「パチンコ台」になったこと。パチンコを知らなくても笑えるネタは、本当の意味で誰も傷つけてないし、置いてけぼりにもしてない。ネタを見ている人が例えパチンコを知らなかったとしても、誰からもバカにされないように、まさのり自身がパチンコ台になってくれる。錦鯉は、バカ担当まさのりさんがこの世の全ての"傷つき"を一身に背負ってくれてるんだと思う。「どうせみんなこうなるんだよ」「からっぽだよ」と冒頭から徹底的に自分を下げ、コンプレックスを持つ人たちに対して「俺のほうがもっと下だから安心しなよ」みたいな態度を取り続けてくれる。だから私は錦鯉のどんなネタも安心して観ることが出来る。一番好きなネタは「数え唄」です。

 

気持ちメモー成仏&供養

7月20日
 2ヶ月半、ゆるやかに減量をしていて目標体重達成した(10月16日現在リバウンド中)。痩せてても丸くても私はかわいいし、盛大な惚気と思われて仕方ないが何をしていてもやっくんが「かわいい」と言ってくれるので「なんでもいいか」という気持ちになったりする。

7月21日
 車とフェリーで北海道へ。釧路→阿寒→網走→旭川→美瑛→苫小牧→白老→小樽→札幌などの道東一周コース。敷地内に国立アイヌ民族博物館などがある通称「ウポポイ」に行き、随分とアイヌのことを知る。「神は細部に宿る」ということもそうだけど、物を作るときにはその人の精魂みたいなものが宿る。とくに削るという動作はかなり込められると思う。石や木などの燃やすと元には戻れない一過性の素材は特にそのきらいがある。逆に布やガラスなどは凝固融解できる。その変化と対比についてはまたちゃんと考えたい。半永久的な変化について。

8月6日
 茨城県福島県いわき市南相馬市岐阜県宇都宮へ。もちろん全編車。この夏は本当に私ちょう運転したわ。帰宅困難区域を通った。何もかも「概念」になった町。信号は点滅を繰り返すだけで車は一度も止まらない。10年前で時が完全にとまっている家の中で気や木が生茂る。今はもう見かけないKDDIの色あせた看板が街の中にたたずむ。町中にセシウム量を知らせる電光掲示板がある。「セシウムの計測機が体温計になっただけだけだな」とかをぼんやりと考える。紫外線に晒され続けて真っ白になった店の看板。紫外線も目には見えないが人体に影響を及ぼす。原子力災害伝承館聞いた言葉を思い出す。「水素爆発しているんだから、冷静に考えてみみたら家の窓枠なんて直している場合じゃないのに直す手を止められなかった」。

8月14日
 家の近所によく行くお店ができた。ご飯が美味しくて赤星を出す店。店の予約をするときに名前だけで電話番号を言わなくて済むようになった。でも、私は彼(店主)にどさくさに紛れて「古堅さん」と呼ばれたことはない。そこが愛おしい。

8月20日
 高校の親友から結婚することを聞く。結婚は覚悟だと思う。私は覚悟を持ち続けられているだろうか。

8月23日

 大学の親友が夜中の1時に電話をかけてきてウチにやってくる。朝までフジロックを見る。「あすかが面白いままでいるのが結婚への救い」。私は覚悟を持ち続けられているだろうか。

8月28日
 髪を切る。仕事を辞めた記念日だったし思いっきり切ってみた。3年間のことを思い出す。

9月19日
 一周忌の祖母の親友きよことひょんなことから電話をする。「うけた情けは水に流せ、うけた愛は石に刻め」という祖母謎語録を教えてもらう。

9月21日
 再び福島県へ。reborn art fesに赴く。雨宮庸介「石巻13分」に感激をして、二日間で6回見る。うねりの中にある美しい瞬間。ある瞬間が瞬いてそれを残すために人は絵を描いたり踊ったり歌ったり書いたりする。

9月22日
 境界と対価について。フジロックとオリンピックを例に。

(同日)
 シクヌ:生きる、死なずに済む、命を取り留める、生き返る

10月1日
 おそらく外国に国籍があるガストで働いている人が、友達との2ショット写真を立てかけながらごはんをたべていた。その日の帰り道、駅ですれ違った子供が「どうして今年はとしまえんにいかないの?」と父親に聞いていた。としまえんはもうなくなっちゃったんだよ。

どうせでも

 「自分の陰陽の気持ちの差を大きくしすぎない」「ブチ上がりすぎない」というのを心がけるようになった。今は縁を切られた躁鬱の友人が、医者に「躁鬱とは躁状態で上がりすぎると後は落ちるだけで、鬱は躁に比例するもの」と言われたという話を最近思い出す。この夏(特に6月)は、私は少々ブチ上がりすぎていて、今月(12月)もややブチ上がり気味でこの先の自分を案じてしまう。

 案じながらも、あたしはきっと大丈夫だなと思えるようにもなってきた。なぜなら「私はたぶん人生一週目」だから。「人間として生きる人生が1回目」だと思えるから。ゲームでいうところのチュートリアルモードで、人生というゲームの中で必要なコマンドや操作を一生懸命覚えているところ。そう思ったら、納得いくことが増えたし、少し生きるのが楽になった。私は賢いけどその賢さは「この道は死亡ルート」というのを一度死ぬことで知っているから。スーパーマリオならぬ、スーパーアスカ。この人生、残機がたくさんあってよかったよ。
 みたいな話を中学生の私を知る唯一の友人(女)に話したところ「あんたは試作段階のゲーム。テストモードです。デモです。みなさんのためにたくさん色々やらかしてください」と言われてウケた。

 21歳の男の子と仲良くなった。私は、当時21歳だった私が「偉そうな奴」と思っていたような26歳の人間になっていないだろうか。「この人とは友達になれる」と思えてもらえるような隙や余白を保てているだろうか。性別をむき出しにしてダサい態度と会話を続けていないだろうか、と常に頭の片隅で心配をしている。でも21歳の私は絶対に言う「こっちは友達になりたいって心から思ってんのに『友達になれるだろうか』とか『年下と年上の関係性は難しく…微々たるモノでマウントになりかねないので……』とか考えてるその思考自体がウザいしだせえしその態度が透けてみえると興醒めすんだよ」と。ありがとう、21歳の俺。おめえが七転八倒(まじで)をたくさんやらかしてくれた(マジで)おかげで26歳の俺はかなり助かってる。真っ直ぐな愛には心すっかり捧げていたいし、あい変わらず季節に敏感にいたい。みたいなことを考えていた翌日、この男の子に「今日この後、暇すか?遊び行きませんか」という最高の誘い文句をいただき、カッコつけながらも良い格好しい態度をとらないでいたら「そういうところが、いいっすよね、明日香さん(原文ママ)」と言われてついに私は21歳のおれとハグをした。「ここでの『好き』の意味がわかる大人でよかったよお」と18歳の明日香は泣いてた。私と同じ気持ちでまた遊びたいと思ってくれていたら、と願いながら生活を送る。

 明日香たちが今の私を助けてくれているように、26歳の私が30歳の私を助けてあげられますように。七転八倒を恐れずに、ブチ上がりも、ブチ落ちもしよう。どうせチュートリアルモードだし、死ななきゃいいんだよ、死ななきゃ。

 

日記まとめin初夏の生活と思考

6月13日

 夜眠れず、Twitterをみていたら過疎ったTLに「嫁が余命2月宣告の結果」みたいな2chスレまとめが流れてきて、なんの気無しに読んだ。それが理由ってわけじゃないんだけど、私が中3の夏に死んだ、母の親友であり私の親友であり血の繋がらない姉貴ペコとの文通を読み返した。一人暮らしを始めた時に実家から持ち出すくらい大事なものだけど、手紙を開いたのは実に10年ぶりとかだと思う。寝れないとはいえ、壮絶な闘病記を読んだとはいえ、なんで読み返そうなんて思ったのか。

 私は今まで、服の趣味があった派手好きの八代子(祖母)、ギターを私に教えてくれたヒロシおじちゃん(母の兄)、岡村靖幸のマネージャーと付き合ってた私のかっこいい女代表・ペコ(母の友人)、「20歳を超えた男はどこかの女の作品」という言葉を私に残し、死に際に「あばよ」といった戦闘民族いとし(祖母)を亡くしている。若干スピってる母・千秋曰く「亡くなった人が夢に出てきたら心配してるってことらしい」。今の今まで、この4名が夢に出てきたことはない。それなりに愛されてたと思うし、心配もしていたと思うんだけど。ちょっぴり寂しい。

 この間実家に帰った時、千秋の「もー明日香も大人になったし話すよー」の一言で、私の知らなかったペコの壮絶人生を聞かされた。ペコを産んでペコのお母さんは亡くなり、実の父と交際関係にあった(!)「祖母」に育てられる(血縁関係はない)。程なくしておばあちゃんが亡くなり、新潟から神奈川にある再婚した実の父の家を訪ねる。このペコの転校が千秋との出会い。ペコは実の父から日常的に暴力を振るわれていた、など。仲良いつもりだったし、なんでも知ってるつもりだったけど、私はペコのこと全然知らなかったなー。

 手紙を読みながら泣き笑いしてしまったんだけど、手紙に「泣かないと人は笑えませんからねー」みたいなことが書いてあってさらに泣きながら笑った。「あすかの結婚式でスピーチして泣かせてやりたい」って。あたしもう結婚したよ〜!ちゃっかり千秋に宛てた恋煩いの手紙も混ざっていて、意味がよくわかるようになってしまったわたしは「ごめん!」と思いながら読み進め、随分と笑った。ペコにも25歳の時があり、今の私と同じように男の子研究を進め、生活を七転八倒してた。「どーせ私はあなたより背もでかいし、肩幅だって自慢できるほどあるよ。姉御系だしヤクザとケンカしたことだってあるし、酒も強くて悪かったね…と彼に向かって心の中で思いました……」←ヤクザとケンカというパワーワード

 最後の手紙は速達で「余命宣告されました」って、内容。一貫してペコが私に語りかけていたのは「愛があればどこにいても生きてゆける人生はそれほど複雑じゃない。周りに振り回されず自分のすべきことに向かって歩け。でも人は1人では生きていけないことを肝に銘じろ」。おかげさまでそれなりに強く賢く可愛い女の子になったと思う。

 白血病で無菌室に入れられてたペコの病室は14歳以下は入室禁止。だから文通をしてた。小学校6年生の時に、最初の入院をしてから3年間。携帯もパソコンもあったのに何故か文通を選んだ。あの時、文通を選んでてよかったなって思う。ポストを開ける楽しみとか、自分の送った手紙は読めないけど相手から送られた手紙で当時の気持ちは思い出せる。アーカイブが欠如している分、なんだか愛おしくなる。

 あの頃は「周りがガキに見える」とか言っておきながらずいぶん私だって幼かったし、本当に自分の気持ちにふりまわされてばっかりというか。そんな周りとの違和感を「早くにおばあちゃんを亡くしたからなのでは。経験の違いは埋めることができない。その違いで彼らを責めることはできない」と言ってくれたこと、ほんと感謝している。すごく楽になったんだよねー。

 巨大感情をペコに押し付けるクソガキだったけど、今ならもうちょいアホで楽しくてガ〜ルズな話ができただろうなーって本当に思う。仕事の話も愛の話も恋の話も友だちの話も全部全部聞いて欲しい。タバコも吸うし酒もアホほどのむ女になったで〜。

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6月15日

 2年ぶりになんとなく連絡をとった大学の頃の友達。お互いの家がチャリで15分のところにあると判明し定期的にあそぶようになった。公園でタバコ吸いながら酒飲んで、2年間のうちに起きたことを2日間に分けて話した。1日目は友人編。2日目は明日香編。2年ぶりなのにそんな感じもせず話せたことも嬉しかったけど、何よりも嬉しかったのは2人とも無職と転職を経て、心から楽しい&自分に向いていると思える仕事をしているところ。地に足がついてる感覚を手に入れるために頑張ったね、偉かったね、頑張ろうねと半泣きで手を取り合いながら褒め称えあえてほんとに嬉しかったなー。私と彼の歴史はほんとにはちゃめちゃで「馬鹿大学生」の一言。誕生日に108本(煩悩の数)のタバコをもらったり、金魚鉢にお酒入れて飲んだり、オナラでライターの火が強くなるか実験したり、朝起きたらよくわかんないけど2人とも傷だらけだったり。私たちの関係性は、多くの人が疑ってかかる男女の友情で、対話とお酒と時間をじっくりかけて大親友になった。セックスすりゃそりゃすぐ仲良くなれるんだけど、しなかったし、したくなかったし、これからもする必要はない。私たちが男女の友情はあると証言し続けていると思うし、これからもそのつもり。友達は何年経っても友達。

 

6月22日

 最近すぐなんでも英語で調べる。「付き合う」は英語でkeep company。すっごい納得感。companyをkeepするのが付き合うってことだし、結婚生活ってことだと思う。

 

6月26日

 大豆田とわ子が面白いと思える人間でよかった。特に好きだったセリフ「夫婦なんて強いところじゃなくて弱いところで繋がってるもんなんじゃない」。私は自分の元気がない時に「ハウルの動く城」を見るとまた頑張れるんだけど、それは自信がなくて臆病な人たちが、弱いところで繋がって自信がないなりに強くなるからだと思う。ハウルに出てくる人はみんな大親友を探していて、仲良くなるための手続きをきちんと踏んで親友になる。あきらめないで、地道に友達になりたいと思える人を探してそれに足る自分でいようって思える。

 とわ子で好きだったセリフ2「転んでも1人で起きる子にしてしまった」「私色んな人に起きるようにしてもらってきたよ」。お母さんとお父さんは私に「明日香を大人にしちゃったのは私たち」と申し訳なさそうにいうんだけど、私はちゃんと子供をやっていたし未だに心の中に8歳と14歳と18歳の私はいるよ。心の中に住む「全明日香」たちと過ごす日々は結構おもしろい。

 

7月3日

 我が家の中で一番ボロボロの漫画は松本大洋ピンポン。やっくんは漫画が大好きだけど、ほとんど携帯で読んでいるので漫画を保有しているの珍しい。ある日「『少し泣く』のコマって何巻あたりだっけ」と聞いたら迷いなく漫画を手に取り、秒でパッと開いて教えてくれた。やっくんの好きポイント史が更新された瞬間だった。その日、卵子精子保存の話をした。

 

7月14日

 お慕い申し上げている先輩の退社を聞かされた深夜2時。月曜日に偉い人に報告し、まだオフレコだけどどうしても古堅には早く言いたかったと、早々に教えてくれた。

 朝5時に帰宅し、やっくんからクリスチャン・ボルタンスキーが死んだことを聞かされた。家の廊下で荷物をどさっと落として、立ちながらワンワン泣いた。漫画みたいに泣いた。私、こんなに好きだったんだね先輩のことも、ボルタンスキーのことも。やっぱり寂しいよ。ボルタンスキーは、不在と存在を目に見えないものとして残す人だと思う。「ないということを知っている」ということを知っていることで存在するようになる。ボルタンスキーも不在の存在になったんだなー。たくさん作品見れてよかった。

 

 

 

 

あすかちゃんならこういう時『全員殺す』って思うだろうな

 高校3年間同じクラスだった友達が実家を出てシェアハウスをしているというので遊びに行ってきた。その街は、かつてわたしが大大大大恋愛をし、惨めになるくらい大大大大大大大大失恋した男がわけー女と住んでいると聞く街だった。わたしは、どんな人混みの中でも彼を見つけられる自信が未だにある。両足に重心をしっかり移動しながら歩く歩き方とか、踵から歩くところとか、少し猫背だとか、身長だとか、匂いだとか。で、未練がましく喫煙所で大して吸いたくもないタバコをばかばか吸いながら街ゆく人を見ていたんだけど、会えなかったー。会えたらよかったな。今ならももうちょいちゃんと仲良くできると思うわ。彼と握手をすること、普通に飲みに出かけたりできるようになることがこの人生の目標の一つでもあるようになっちゃった。

 友達が駅まで迎えにきてくれて、家に向かう道中、高校2年生から付き合ってた同い年の彼氏と別れた話をさら〜っと聞いた。わたしはその2人のほんと所謂キューピットみたいなことをしたから、その場で立ち止まって思わず叫んでしまった。誰もが別れないと思ってたと思う。8年付き合ってた男と別れるということ。嫌になるくらい酒を飲んだり、泣いたり叫んだりするもんだと思ってたんだけど、その子はほんと音も立たずツーって泣くのみだった。その子は「今の彼を好きなんじゃなくて昔の彼が好きだし、私たちの関係が好きなだけなんだなって。それだと私が間違いなく幸せになれないことに気がついてしまった。」というようなことを言ってて、なんかほんとすごいし、頭が上がらなかった。本当に偉いよ。このままでは手に入らない幸せを諦めずに行動を起こしたってことだもんね、すごいよほんと。

 その友達の話をもう少しすると、私と性格が本当に真逆で、4人姉妹の上から二番目。家族の仲はいいけど多分いろんなことを我慢してきたと思う。頭がすっごくよかったけど、4年制大学に行かず特待生で奨学金で行ける専門学校に進学したことをどうにもならないことと思いつつ「なんとかならんのか」って思ったりもしてた。彼氏と別れたことの顛末を聞いた後、ベロベロになった彼女が「私は全人類が好きってタイプじゃん?それで辛くなった時に心の中であすかちゃんを召喚すんだよね」と突然言い出すので理由を聞いたら「あすかちゃんならこういう時『全員殺す』って思うだろうな、って思うと気が楽になるしなんだかおかしくなるんだよね」と言われた。すっごく笑った。今度、元彼の8年分の写真とか手紙とかを一緒に燃やす約束をした。傷は癒えるよ。大大大大大大大大失恋した後しばらく聞けなくなった音楽はたくさんあったけど、結局その音楽で卒論を書いて、ちゃんと評価もされた人間もいる。時は過ぎる、傷も癒える、呪いだって私を召喚すればできちゃうよ。

 この1週間、なんか本当全てのタイミングがすごくて「男の子選抜総選挙」みたいだった。誰1人手放したくないってのはわがままなんかなー。わがままだろーな。私は今週「疑似恋愛」という最高に都合の良い概念を手に入れた。地獄に落ちないようにしながら、なんとかみんなと手を繋いでいたい、まじで。とか私が男の子にひーこらしてる間にも仕事はわんさかやってくるし、やらなきゃおわんないので静かにパソコンを開きタイピングを続ける。仕事があってよかった。楽しいと思える仕事とそれを認められる自分でよかった。