舌先から散弾銃

ただの日記です

24ちゃいの11月にしれたこと

これはたぶん私に合う、この街やこの人と一緒にいると、わたしのセンスは磨かれる、みたいなことを見抜く力が世の中には存在し、そうやって発見したものを生活に組み込む。いいと思えたものを吟味し、検討し、洗練させ、自分の世界に取り込んで行く。それが私は結構楽しい。刻一刻とこの世界がどんどん変わる様。
 生き方や、価値は当たり前として、生活の中で接する服や指輪や住む街とかだって誰かに勧められるのではなく「私」で選びたい。「私」で選ぶためには理想に頼るしかない。でも「理想を目指す」というのは「理性によって欲望をコントロールする」みたいなことで、「理想」に向き合いすぎると、思考が硬くなり、機械のようになってしまう。だから「本当のわたしとはなんぞや?」を頭で考えるのではなく、多少アホで、計画性がなくても、思いついたことをやってみる。そうすると「あ、わたしこういうこと言う人なんだ!」って、古くて新しい本当の自分を発見をしていける、気がした。

 

というか!

「自分がどうなって行きたいか」は物心ついた時からすでに追っているようなものなんだから、「みんながどうやって生きているか」ではなく「私は何を選んで行くか。どうなりたいか」を追求したい。この話において理想なんてものは存在せずただ「行先と目的地」があるだけなので、当然 理想には届かない。んなもんいらねーわ。

 

一方、理性で言葉を発する必要があるため、引き続き「好き」「嬉しい」「おいしい」みたいな言葉はじゃんじゃつかいたいし、「大好きだよ」って自分に言ってあげたい。

好きなことと現実のどちらを取ればいいか、みたいなことを悩んでた今月、そんなようなことをずっと考えてた。おれはねむる。