舌先から散弾銃

ただの日記です

2014/02/22

登校日。
あと二回。
うち一回は実質カウントできない。
大好きな場所に入りびたれるのもあと一回。
正直、想い出がありすぎて、もうほとんど思い出せない。
そろそろあの丸テーブルと椅子には私の匂いが染み付いてることでしょう。
残り香で思い出してもらえるような人間になりたいです。


先生たちが、私が卒業した後に「私がいなくてさみしいな」って思ったら、私の勝ち。
私が卒業して、「あーーーーーもう!!!!服部先生にうすい先生森田先生にみきちゃんに杉山先生みれい先生!!」って思ったら私の負け。
今のところ、負ける気しかしません。


駆け抜けるような、抜け落ちるような、どっちにしろ、落ちていくような毎日で、感覚がなく、砂が手を滑り落ちて行くように、掴めそうで、掴めない。
逃したくないのに、それはじわじわと手から漏れていく。
時の流れは平等のはずなのに、時たま自分だけが異常に速い速度で駆け抜けてるのではないかと思います。
生活に満足してると時の流れは早いとか言います。
だとしたら、この三年間が人生で一番早かった。駆け抜けた。ボルトも、新幹線も、ロケットも、流れ星もビックリなほど。
流れ星は静かに消えます。
私は想いを凝らすことにします。


"時間"という概念は、悪魔が作ったと言われてます(諸説ある)
"時間"という概念がなければ、人は別れないし、死もこない。
「別れがあるから出会いがある」なんていうけど、あれ嘘で、
別れが無くても人は出会う。
別れはどうやっても刹那的で哀愁的。
「明るい別れがある」とかいうけれど、あれ嘘で、
別れるからには、それなりの想い出があるはず。
だから、前向きな別れはあっても、晴れ晴れとした別れなんてありっこない。

どこかで、あの頃を懐かしむ、アノコロハヨカッタシンドロームにかかるもので、それは自然の摂理で、必然で、相対している。不自然なことじゃない。当たり前なことなのだ。
出会った以上、別れがあるとかいうけれど、あれ嘘で、
出会っちゃったら、たとえ表面的なわかれが続いても、本人たちがその気になんかならなければ別れなんて、ありゃしない。

出会ったから、脳に刷り込まれて、記憶になる。
顔は出てくるけど名前は出てこない……
それでも、脳みその表面には、顔の刺青が入ってるわけだ。


そうでも思ってないと、人との別れを繰り返すたびに、音も光もない底なし沼にズンズン沈んじゃう。
別れは、どうやったって、どんなもんだって、辛い。寂しい、独特な温度を持っているものです。
生暖かい。
出来ることなら触っていたくないけれど、触ってないと離れちゃう。
でも、離してしまう。


私、いつかまた会えるって信じてます。
亡くなった人にも、生きわかれた人にも。
"信"。人偏に言。
人が言葉にすればそれは叶うものってことです。
"叶"。口に十。
十回、口で唱えましょうね。
また会えるまた会えるまた会えるまた会えるまた会えるまた会えるまた会えるまた会えるまた会えるまた会える。
これで、私の大好きな人たちにまた会えるだろうし、私の大好きな人たちがダイスキナヒトにも会えることでしょう。


私たちを待ち受ける日々に興奮がありますように。
二度と戻れない美しい日にいるのね